はじめまして。GmotoProjectの小圷(こあくつ)と申します。 今回は「たまたま群馬がふるさとになった」というテーマで私自身について書いてみます。
ジモトプロジェクトは関係人口を増やしていこうというプロジェクトです。 自分自身が「群馬県がたまたまふるさとになった」人間です。生まれ故郷は茨城県水戸市なのですが、なぜ第二のふるさとに群馬県がなったのかを記載してみたいと思います。
高校3年までサッカー漬けの毎日で水戸で過ごしておりました。13年間続けてきたサッカーを部活動の終了とともに引退し、いざ大学受験!となって勉強を始めましたが現役の結果は全然だめ。浪人して志望大学を目指すことにしました。浪人時代は大変苦しく勉強しておりましたが、2度目の正直でも受験失敗。滑り止めで受験した高崎経済大学へ入学します。
まずは市立か私立か分からないような知らない大学にきてしまい、黒歴史のような大学1年生時代を過ごします。浪人時代に尊敬していた現代文の先生が言っていた「大学に行ったらどこの大学でもいいから本を読みなさい」という言葉を信じて、授業が終わったら図書館に籠るという生活をはじめ、そこで出口治明さんの「本・人・旅」言葉との出会いをします。 ※余談。その年か次の年に、なんと高崎経済大学に出口さんが講演できてくださったのです。
その本を読んで大学4年間を無駄にしてはいけないと思い、大人たちが20代前半でやっておいたほうがいいことを見聞きしてとにかく実行するということを目標に・「自分自身の感情でブレーキをかけない」ということを意識して考動しまくりました。海外留学・アルバイト・熊本までヒッチハイク・合コン笑いろいろな経験をしました。 その行動のおかげで様々なチャンスをつかんでいきます。1年生の時には新卒でお世話になる会社の社長(現在は人生のメンター)に出会えるし、3年生時には周りが経営者だらけのなかで、GIS(群馬イノベーションスクール)というビジネススクールに大学生ながら入れていただきました。
GISではほとんどが経営者で自分の事業をもっとよくしたい・自分たちの事業が儲かることで地域が良くなるんだという思いで参加されていました。その時は経営者というのは全然視野にも入っていなかったのですが、そんな一生懸命悩む≠生きる経営者という存在が大変かっこよく思えてしまいました。 しかもその時は運よく、GISに参加している大学生が少なかったために群馬の経営者の皆様に大変可愛がっていただきました。その時は大変生意気で𠮟っていただいたこともありますが、歯向かっていました。笑 そのような形でたくさんの先輩たちが、生意気な私の面倒を見てくれて、この人たちの役に立ちたい・この地域でチャレンジしてみたいと思うようになります。
入学のときは、就職は東京一択で、群馬で働く?なんて想像もしてなかったのですが、素晴らしい人達との出会いによって、群馬県で働くことを決意します。 ※自分ゴトですが、都内のいい会社からも内定もらっていましたよ!!!
新卒で群馬で働きはじめてからは同世代で私のような起業に近いような形で働いている人が少なかったがゆえに、大変孤独でした。しかし、改めて行動し、自分の考えを発信し続けているうちにいまの「ジモトプロジェクト」のメンバーに出会っていきます。 年齢・所属・立場は全然違うけど、同じような思いを持った人達、いまでもすごい仲良いし、同期のような存在です。
(いま、アドベントカレンダーが私のことを知り、焦って30分で書いているのでまとまってないかもしれませんが・・・笑)
なにを言いたいかというと、 私は群馬県に思い入れがあるわけじゃないんです。 群馬県で出会った人たちに思い入れがあるんです。
群馬県が好きっていうよりかは、そこで出会った人たちが好きで・・・。 持論ですが、これがまさしく関係人口だと思っています。 また行きたいと思える観光地にはやっぱり、また会いたい人がいると思うんです。
そんな受け入れる人達にGmotoPJがなることで、関係人口って増えていくんじゃないかなと思っています。 私も来年は30代・・・。これまで群馬の方々に与えていただいた恩を下の世代に送って行く番かな、なんて思っています。
今後、私のように「たまたま群馬がふるさとになった」人達が増えたら幸いです。